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報道だけでは、我々産婦人科医でも、責任の所在がどこにあるのか、分かりにくい、というのが正直な感想です。
誰が悪いのか、個人責任の追及は、当事者でないため、報道内容だけで判断して、外からどうのこうの言うことを控えますが、私の敬愛する先輩もブログで書いておられるのですが、根底にこの国の医療に対する考え方の誤りがあると思います。
http://kumonoyouni.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_a76a.html
医療費抑制政策もそうですし、国民皆保険制度、これ自体は素晴らしい世界に誇れる制度のはずなのに、医療は無料、もしくは安くあるべきだという国民の考え方があると思います、我々医療者側からすると、安かろう悪かろう、とならざるを得ない、と思う部分もあります。
どこの業界でも、コストをかけなければ、質が低下します。
医療にはお金をかけないようにするべきでしょうか、大切な命、身体を預けるのに、より低価格でサービスを供給しろ、というのは矛盾がないでしょうか。そんな医療制度を要求して、安心して治療が受けられると思いますか?
これまでの医療機関が、余計に収入を得ていた、のでしょうか、ある部分では我々もそうであった、と肯定せざるを得ない面があります。
しかし、先進国中最低レベルの医療費でこれまでの医療が整備されてきた事実に目を向けて欲しいと思います。医療の現場は既に限界に近づいており、破綻しつつあります。
安心して治療が受けられますか? 心配で病気にもなれない、という声が聞こえてきそうです。
亡くなった妊婦さん、ご遺族には心からお悔やみを申し上げます。
医療政策や医療制度、医療機関の整備が、誰かの犠牲が無ければ変わらない、というのでは、余りにも痛ましすぎます。
以前は、賛育会病院は、予約を入れても、1時間以上の待ち時間はあたりまえでした。待ち時間が長すぎると書いてアンケート回収箱にいれていた患者をみたことがありますが、私はとてもできませんでした。一つは、どれだけ待ってもこの病院で診てほしいという患者が多いいい病院という見方を私はしていました。今年に入ってからでしょうか。待ち時間がほとんどといっていいほどなくなり、すごい努力をしたんだな、と感謝しています。また、急患を扱うために予約を入れた外来患者の診察順番が大幅に狂うことも当然と私は理解しています。桜井先生が緊急手術に入ってしまい、代理の先生が私を診たことが過去に2回ありました。今は、そのようなことがなくなり、いつも桜井先生に診ていただけて、安心感があります。
このようなことは、もしかしたら、外来患者からでている不満を解消するために、救急患者を受け入れないようにしているということはありませんか?もしも外来患者が手一杯で、一刻を争う事態になっている患者を受け入れられないとしてら、それは私たちのせいでもあります。このニュースを聞いて、もしかしたら、賛育会病院と似たような、もう急患を受け入れられない病院が今増えているのではなかろうか思い、ぞっとしています。
遺族である夫へのインタビューを朝のワイドショーで見ました。もしたとえ結果的に妻が死んでしまっても、もしも先生が必死だったと自分が納得できたら、先生ありがとうございましたと言える、でも当直の先生に何していたかを聞いたら、仮眠室で寝ていたと答えたと全身を震わせながら答えていました。
桜井先生の何気ないやさしい一言がうれしくて、先生をいい先生だと思ったと過去のコメントに何人も書いています。私もその一人です。医者と患者のコミュニケーションはとても大事であると賛育会病院から学びました。医者だって、一刻を争う急患が運び込まれれば、へとへとに疲れることは、患者もわかります。、だからといって、もしも担当医師から、仮眠室で寝ていた、と答えられたら、もし私がこの遺族なら、こんな医者私が殺してやると思ったことでしょう。
一刻を争う処置が必要な患者の家族は、もうパニック状態で、医者の難しい説明など聞いている余裕はないのでは?なぜこれだけ病院をたらいまわしにされなければいけないのかも、もし私がこの遺族なら、納得できずに医者に食らいつくだろうし、さらに医者から寝ていたと聞かされれば、あの医者は信用できない、と医療訴訟をその後おこしたかもしれません。
今の報道では、医者を責任転嫁の身代わりに利用してしまっているだけで、どうしたら同じ問題を二度と繰り返さないかについて報道することがないように思います。あるのかもしれませんが、私は知りません。
非常に示唆に富んだ、洞察の深いコメントで、何だか病院の内情まで分かってらっしゃるのかと思いました。
幾つか補足します。
「待ち時間」については、医療現場における需給バランスが崩れている以上、正直、改善がこれ以上望めません。これは私がよく使う言葉なのですが、賛育会病院がそうであるかは別として、いい病院に患者さんが集まるのは当然です。例えは適当でないかも知れませんが、美味しいレストランは繁盛します。
しかし、診察に当たる医師、スタッフの増員は限りがありますし、診察室の数も同じです。レストランも同じですよね。
そうなると当然「待ち時間」が生じるわけで、これを解消しようとするのが「予約制」です。これもレストランと同じ。
少しレストランと異なるのは、hiromiさんが書いてらっしゃるように、緊急患者さんや、診察に時間がかかってします患者さんがあると言うことです。レストランでも多少は同じでしょうけど、大体コースは2時間で終わる、と読めますよね。
賛育会病院産婦人科は現在の部長以下、全医局員が代わって、10月で5年を迎えました。
この間、外来患者数、分娩数、手術件数の全てが増加傾向にあり、その一方で、「産科医不足」の余波で医局員が減少しています。
分娩は時を選ばない、ましてや緊急事態はなおさら、また手術も予定通りに開始される、となると外来患者さんの診療が後回しにされかねません。しかし外来患者さんは診療を待ち、診療が終われば帰宅出来るのです。外来患者さんをこれ以上お待たせしたくない、は我々医局員の願いでもあります。
個人的なブログで、現在勤務する病院の診療体制について細かく書くのは控えますが、今後、変わらない安全と医療サービスを行うには、幾つかの制限を行っていかなければならない事実があります。
「救急患者さんの制限」は、とりたてて行っていませんが、この事件にもあったような受け入れが出来ない事態はしばしば起こっています。
例えば、病院のベッドが満床である場合、診療にあたる医師・スタッフが確保出来ない場合、他の診療科が無いために診療の対象外とする場合です。
分娩数の増加により、産科病棟が満床続きです。そうなると他院からの搬送(より大きな・高次の施設に患者さんを依頼すること)はお断りせざるを得ません。また、この事件にあったような「脳内出血の疑い」とされたら、専門の脳神経外科、または神経内科医師がいないとやはりお受け出来ないでしょう。
このように今の医療、現場では多くの矛盾があり、崩壊寸前です、と少し愚痴もありましたが、hiromiさんのコメントに救われました。
今後もお願いします。
私の意見もまだ、前回のコメントでは言い尽くせていません。私は先生の患者になる何年も前に、国民の二人に一人は保険をもたないことが長年の社会問題になっているアメリカに長期滞在し、産婦人科にかかったことはありませんが、現地の医者にかかったことがあり、その体験も交えながら書きたいと思います。国民皆保険という制度がどれだけありがたいものかがわかるからです。世界に誇れる制度という意見に私も賛成です。なくして初めてわかることは、代理出産にも関連していると思うので、別の機会に書き込みたいと思います。
もう一つは遺族が、担当医への恨みつらみばかり述べているインタビューをよくみます。これを見る限りのことしかいえませんが、医者、病院関係者そして家族がどれだけのコミュニケーションが取れていたのかは、この報道を見る限り私には疑問に思います。
医者側は泊り込み勤務のまま翌日の勤務をしなければならない。しかし、付き添いは目の前の一刻を争う患者のことだけで頭がいっぱい。パニック状態。大事なのは、「今ここで」どのようなコミュニケーションがとれたのかということではないでしょうか?医者だけではありません。その場にいた関係者とのコミュニケーションもとれなければ、先生は冷たい、ひどいと感じてしまうかもしれません。当時ボストン在住でした。階段を踏み外し、常用めがねの縁で鼻の上、左眉毛のすぐそばを傷つけ、5針縫う怪我をしました。休日だったので時間外診療室に、当時一緒に住んでいたエチオピア人ルームメイトがタクシーで付き添ってくれました。
アメリカは救急車は有料というのは50州共通しています。だから、ボストンに住むお金のない学生は救急車を使わず、安く済むタクシーで病院に駆け込むことがよくあることでした。
受付にいた女性が、私に支払い等のことが書かれた契約書をくれて、署名をしろと何度も私にいいました。額から血をだらだらと流しながら、ど近眼の私が、血で契約書を汚さないように、上をむきながら、裸眼で細かい字で書かれた契約書を読まなければならなかったことをよく覚えています。私の財布を付き添いの彼女にわたし、当時加入していた保険の保険証を見せてもらうに頼みました。保険証を見たとたんに受付の人の態度が代わり、私はベッドに寝かされ、診察室で消毒をうけました。私の場合もここで待ち時間が多く、わずか30分たらずで処置が終わったのに、6時間診療所に居ました。付き添いの彼女はその間、何も知らされず、病院の関係者に私の状態を聞いても、またあとで、といわれるだけだったそうです。彼女は、私の処置をしてくれた医者に向かって机をたたいて抗議をしていました。対応がひどかったのは、医者ではなく、受付の人と、その周りにいた看護師なのに。
国民皆保険制度がなくなってしまったら、まさに、先生のおっしゃっていた、「安心して治療がうけられますか?心配で病気にもなれない、という声が聞こえてきそうです。」という社会になってしまいます。先生のこの言葉は、私が当時見たローカルニュースが医療関係の番組を組んだときに、番組の終わりの言葉として、何人かのアナウンサーがよく口にしていた言葉です。「崩壊寸前」も同様です。愚痴だなんて、とんでもありません。日本でも、不妊治療など、保険のきかない治療方法はありますが、アメリカはすべての治療方法は保険会社がきめます。だから、私が怪我をして顔を5針縫ったときも、もしも私が保険に加入していなかったら、まさか、治療を断られていたのではなかろうか?と今にしてみれば思います。救急車が有料になったらどうしますか?アメリカは帝王切開には保険の支払いがされますが、自然分娩に支払いをする保険を少なくとも私は一切知りません。そんな世の中になってしまったら、どうなりますか?分娩を一切やめますか?そんな世の中になってしまうのは、私は断固反対です。国民皆保険制度を崩壊させたくない。でもそのためには、どうしたらいいのか。私が思うには、二度と同じ過ちを繰り返さないためには、今までの、関係者以外には何も明かさないという、日本の古い隠蔽退室の時代はもう終わりということではないかと思います。受け入れができなかったすべての病院でいったい何がおきたのか、どうして、受け入れられなかったのかを徹底的に洗いざらいにして、うみを出しきらなければ、解決方法は何もないと思います。今の報道の仕方では、担当医がscapegoatとなってしまうだけです。
また、今現在のこのブログは、女性患者と病院関係者しか、書き込みがありません。少なくとも私にはそう見えます。男と女の二つの性があって初めて妊娠が可能です。遠い将来になるかもしれませんが、たとえば、不妊治療に一緒に協力している夫の立場からの苦しみや喜びのコメントも私は読みたいと思います。それから、代理出産にも関係しますが、法律の分野にいる人からの書き込みも将来あればいいなと思います。不妊治療も代理出産もジェンダーの視点も必要ではないでしょうか?一人の力では無理でも、たくさんの共感する人が現れて、社会運動に発展し、社会を変えられればすばらしい。今現在のこのコメントの書き手は、桜井先生と何らかのかかわりのある人、あるいはあった人いう共通点があります。その共通点をもとにして、このブログを読み、それが何かの社会変革になればと思い、こんな長いコメントを書いてしまいました。申し訳ない。失礼します。