武内先生は、順天堂大学で、世に「順天堂式」と称される婦人科腹腔鏡下手術の術式を確立し、子宮内膜症、子宮筋腫、性器脱と、その治療法を常に革新し続け、順天堂は国内でも有数の婦人科腹腔鏡施設となりました。
また順天堂は不妊治療と内視鏡下手術を巧みにリンクさせ、都内の大学病院において、これも有数の体外受精治療成績を挙げてきましたが、この分野も武内先生が大成されました。さらに不妊治療や内膜症、筋腫治療には欠かせない、婦人科内分泌学にも精通されていました。
私の診療における3本柱とも言うべき、これらの治療は、言うまでもなく武内先生の薫陶を受けたもので、またこれらの専門領域に限らず、医師として、さらには人として多くのことを学びました。
お世話になったこと、思い出、叱られたことなど、思い起こせば限がありません。現在の私が形成される原点のような方なのです。
しかもまだお若く、50歳前。大学の産婦人科教室はもとより、順天堂大学、日本の産婦人科において、学会や著書、論文を通じて、常に先人たれという誠にアグレッシブな姿勢を崩さず、我々後進をいつも叱咤激励されていました。
先生の愛弟子、直弟子と呼べる医師は数多く、すでに全国に散らばりつつあります。そして我々がさらに後進を指導することにより、先生の孫弟子が育ちつつあります。
まだまだ先生がやりたかったこと、手をつけれた仕事が山積みで、先生の無念さを思います。
まだ、訃報を信じられない気持ちがいっぱいで、ただただ先生のご冥福をお祈りすることと、長年のご指導を深謝し、何も恩返しできなかったことを悔やむのみです。
合掌
順天堂大学 武内裕之先生の訃報についての記事を拝見し、大変驚いております。
私は、7年前に先生に子宮筋腫の内視鏡手術を施して頂き、その後6年間先生に外来でお世話になり、昨年子宮筋腫の再発のため、再度先生と手術について相談をしていた矢先、私の自宅に順天堂大学よりご入院との手紙を頂きました。その後、どのような状態か分からなかったのですが、先生がお元気になってから手術を又お願いしようとずっと待っていたのですが、偶然 桜井先生のHPで訃報との記事を読み、大変困惑しております。
武内先生は、いつも優しくて、安心して診療もお任せしていたので、大変残念でなりません。もし、お差し支えなければ、何時お亡くなりになったのか教えて頂けませんでしょうか?
私も、先生の一患者として心からご冥福をお祈りすると共に、お世話になったことを深く感謝申し上げたいと思います。突然のコメントで失礼いたしました。 合掌。
武内先生は大変多くの患者さんの診療にあたられていましたので、きっとtommyさんのように驚かれ、残念に思われる方も少なくないと思います。
亡くなったのは先月です。突然のことだったので、我々も動揺が隠せませんでした。
ともにご冥福をお祈りいただき有り難う御座います。
謹んで武内先生のご冥福をお祈り申し上げます。
病巣だけの摘出、卵巣もそのまま、軽度の内膜症も治療していただきもう5年経ちますが元気です。前医での診断に失神した妻がいまあるのも先生のおかげだと思っています。
フランクな人柄とお見受けする一方、妻の診察後に私が診察室に呼ばれたとき、先生からきちんと頭を下げて自己紹介されたことは新鮮な驚きでした。
術後の定期診察の途中で病欠、大変心配しておりました。代診の医師らは多くを語りませんでしたが、かなり重いらしいことを聞かされました。たくさんの患者さんの診察・手術、ややふっくらした体型の先生の健康を心配していた矢先でした。年明け早々の定期診察を控えてこのウエブサイトで知りました。ご冥福をお祈りいたします。
4年前子宮筋腫で初めて診察していただき、翌年執刀していただきました。武内先生の評判をお聞きして、先生に診ていただきたいと無理をいって診察をしていただいたことを思い出します。やさしく、穏やかで、的確に話をしてくださる。武内先生との出会いで私は自分の病気にちゃんと向き合うことができました。術後半年で再発がわかり、愕然としていた私に、「これからも僕がみるからね」と言ってくださったのに・・・残念でなりません。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、順天堂のHP・研究室のHPには訃報の記事がまだてでいないようです。(先生の御写真もありました。)もし可能であれば掲載してくださるよう、依頼していただけませんでしょうか。次回の検診の折に、ちゃんとお悔やみをさせていただきたいと思うのです。
あつかましいお願いなのですが、宜しくお願いいたします。
武内先生を見送ってまだ1月足らず。時々喪失感がぶり返します。
書き込みありがとうございました。
早速順天堂に連絡してみます。
ここ数日、思い出すたびに涙があふれます。
先生にいただいた新しい自分を大切に生きていこうと思っています。
合掌
大変驚きました。一年程度で復帰なさると聞いていたのでまたお元気になったら診て頂こうと待っておりました。とてもショックです。先生の優しい笑顔に会うとほっとした気持ちになり診療とは別に暖かさのあるお人柄が、患者を和ませてくれました。
もう、お会いできないのかと思うと寂しい気持ちです。私が子宮筋腫の手術の時、手術室で「音楽は何が好き?」と聞いてくださり、フォークが好きと答えると好きなオフコースの曲をかけてくれました。武内先生にお会いできたことを誇りに思います。
有難うございました。安らかにお休みください。 合掌。
今日の診察後、看護婦からお手紙がありますのでお読みくださいと封筒を頂きました。すぐに竹内先生のことだと分かり会計のところで開封しました。亡くなられたと書かれた紙をみて、とても信じられません。今も喪失感でいっぱいです。とても素晴らしい先生だったので。これからどうしてよいのやら、考えられません。
先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
師に追いつき、願わくば越えられるよう、後進の我々に課せられた先生からの宿題と思います。ありがとうございました。
昨日順天堂医院に定期検診に行き、
武内先生がお亡くなりになられたことを知りました。
(病院では伏せておられることのようでした)
4年前、内膜症と不妊の治療を受けていた病院の治療方針に疑問を持ち、患者を検体としてしか見ていない態度に我慢ならずにいたとき、先生の著書と出会いました。
本を握りしめ、すがる思いで受診したのを昨日のことのように思い出します。
先生はとても優しく、導くように最善の方法を一緒に考えてくださいました。
痛みに耐える辛い生活を改善できたのも念願の子供を授かれたのも先生のおかげなのに、
その先生がもういらっしゃらないなんてとても信じられないでいます。
それでも、このHPに出会えて、先生の意志が多くのお弟子さんに受け継がれていることを知ることができて良かったです。
武内先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今日、順天堂大学病院でMRIの検査でした。検査後に病院の受付で武内先生の献花台をお願いしたいことを伝えました。今現在はそのようなことはなさらない予定と言われましたが、先生に助けられ本当に感謝でいっぱいなので、お別れをしたいと再度伝えました。
私の気持ちもなんだかスッキリしません。この思い病院に届くと嬉しいのですが。
武内先生がされてきたことが、多くの方の幸せに繋がって居るんだ、と改めて感じました。
下記のTBは、私の先輩である、佐藤先生の追悼文です。
併せてお読み下さい。
下記の追悼文が開けません(涙)
私のPCからですと開けますが、ブラウザやOSによるのかも知れません。
アドレスは下記です。
http://kumonoyouni.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-ee54.html
婦人科の先生方。どうぞ、これからも病気と闘っている患者さんたちのこころをなごませてください。
きっと驚かれたことと思います。先生がやり残したこと、先生の思いを少しでも継いでいくのが我々の役目の一つと思います。最後にお気遣いも有り難う御座います。誰でも健康なときも身体を労らないと行けませんね。
私も本日順天堂の外来で武内先生の訃報を伺いました。
かれこれ20年弱お世話になり、外来へ行くたびに、予約表の武内先生のお名前を目にし、いつご復帰されるのかとお待ちしておりましたのに、本当に残念です。
先生の休診を知らせるお手紙には、ご自分が健康を崩されるとは思っていなくてショックを受けられたように書かれていましたが、このような結果になってしまい、どんなにお心を痛められたのかととてもお気の毒に思います。
やさしいお人柄と丁寧な診療に感謝しております。
ご冥福をお祈りいたします。
書き込み頂く度に、何度も何度も武内先生を思い出します。
改めてご冥福をお祈りします。
1月に順天堂医院に行った時、武内先生の外来が無いのに気づき気になっていました、昨日順天堂に行った際も外来が無いので気になりHPを検索し桜井先生にたどり着き、武内先生の訃報を知りました。
私も、武内先生にお世話になった一人です。9年前子宮筋腫を腹腔鏡で手術をしてもらいました。手術後中々子供を授かれない私に、大丈夫だよ必ず赤ちゃん出来るよといつも優しく言ってくれました。ようやく赤ちゃんを授かれた私に、おめでとう婦人科から産科に昇格だねと言って貰った事が嬉しかった事を思い出します。今では、3人の娘の母です。 武内先生のご冥福をお祈りします。 合掌
書き込み、ダブっていたので、書きかけ(?)のものを削除させていただきました。
けいこさんも武内先生にかけがえのないものを授かったんですね。
ありがとうございます。
武内先生の訃報を今日、順天堂の外来で知りました。本当に驚き、声になりませんでした。
先生の情報が無いかと思い、桜井先生のブログにたどりついた次第です。
武内先生には子宮筋腫の手術を2回も執刀していただきました。
貧血の症状がでているのにもかかわらず、手術をイヤがっていた私を変えたのは、武内先生でした。
「赤ちゃんできたら教えてね」と言ってくださっていたのが忘れられません。
本当に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。武内先生、ありがとうございました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
この度の訃報を伺い、悲しみと今後の不安を抱えて戸惑っています。
今まで本当にありがとうございました。
集った我々も、改めて故人の偉大さを再認識した次第でした。
天国の先生に叱られながらも、我々も日々精進しなければなりません。
私も5年前、武内先生に子宮筋腫の腹腔鏡手術とセカンドルックをしていただきました。
30歳で初めて受診した婦人科検診で筋腫がわかり、
不安いっぱいだったところに先生に出会いました。
大丈夫だから・・・と力強いお言葉と優しく肩を叩いてくださり、
手術を決心できたのを覚えております。
昨日、年一の検診で術後初めて、小さな筋腫があるかもしれないと言われ、
先生のことを検索している時にこちらのサイトにたどりつきました。
先生が休診されているのは聞いておりましたが、訃報に驚きました。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
我々残された後進も、師の後を追い続け、患者さん皆さんのために精進しなければならない、と改めて決意する次第です。
ただただ、びっくりしました。
大好きな先生でした。赤ちゃんが出来た時に「おー良かったね、おめでとう」って言ってくれた顔が忘れられません。
いつ診察にいっても、穏やかに診察してくださって…
先生の診察室の前には、いつも、すごい行列ができていました。私もそのひとりですし、まぁ、武内先生だからしょうがないなぁーと思いつつ順番を待っていたのを覚えています。
友達から、先生の休診を知らされて、心配していたのですが…
あんまり、お医者さんに信頼できないタイプなの私が初めて信頼出来るお医者さまでした。
本当に本当に残念です。
こうやって、教えていただいたことに感謝いたします。
たぶん、病院の受付で聞くより何十倍も穏やかでいられるので…
桜井先生も、おからだに気をつけて頑張ってくださいね。
同じ書き込みが異なるハンドルネームで2件ありましたので、最後に書き込んで頂いたものを除いて削除させて頂きました。
MMさんのようなコメントを頂くたびに、私も師に追いつけるよう、改めて気持ちを引き締めています。
どうかMMさんも武内先生に診て頂いたことを忘れずに、健康に気をつけて下さい。
ソフトボール位の筋腫だったので、他の大学病院では、開腹手術しかないと迫られ、若く出産もしたことがなかった私は、どん底でした。
いろいろな本を読み漁り、順天堂の先生が書いた本が、自分の考えにあっていたので、駆け込みました。もちろん紹介状はなく、事情を話したところ武内先生が、「紹介状はいりません。大丈夫ですから腹腔鏡でやりましょう。」と言って下さって・・、今はぴんぴんしています。
あの時、先生に縁をしなければ今の生活はなかったと、いつも思っています。
今頃になって、先生がなくなったことを知りとてもショックです。
早いもので3年、しかし拠り所としていた師を失ってからの3年は、とても長い時間にも思われます。
またお一人、楓さんの様に、武内先生のお人柄に接し、追慕下さるコメントを頂き、我が身を振り返る事が出来ました。
書き込み、本当に有難うございます。
家族ともども本当に言葉を失ってしまいました。
5年前、武内先生の執刀で筋腫核出術を受けた者です。
他病院で開腹術を行うことになっていましたが、
持病の椎間板ヘルニアのために何度か手術が延期になったりと、
10年間で筋腫核が12cm×13cmの巨大筋腫に育ってしまっていました。
すがるような思いで、武内先生に診ていただいたところ、
順天堂の腹腔鏡下手術で摘出していただける範囲ということで、
10カ月ほどの手術待ちを経て無事執刀していただくことができました。
術後2日目に私が元気に病室を歩きまわっていたところ、
武内先生が突然お1人で病室に様子を見に来て下さり、
“どうですか?!”とお声をかけて下さいました。
先生の大変お忙しいご様子が手に取るように見て取れました。
まさに“大急ぎ”でやって来たという感じです。
私も手短に手術のお礼と、術後体調が
大変に良好であることを伝えさせていただいたところ、
ニコニコと優しい笑顔で
“手術大丈夫でしたから!!じゃあ!”と、足早に病室を後にされました。
術前の診察時や説明時にも
武内先生には、いつも温かい安心感をいただいていました。
私は体だけでなく心も救っていただいた、
順天堂の名医に救っていただいたと話していました。
本当に悲しいです。
先生本当にありがとうございました。
どうぞごゆっくりお休みください。
ご冥福を心よりお祈りいたします。
その二日前に武内先生がお好きだったお店で、順天堂の北出先生達と偲ぶ会を行いました。
武内先生の愛弟子達、そして早くも孫弟子が育っており、思い出話が尽きませんでした。楽しかった話、叱られた話、今でもお店にひょこっと現れるのではないか、とさえ思われました。
また命日の24日には、順天堂で実質武内先生の後を継がれた北出真理先生が、横浜市産婦人科医会で講演をされ、横浜市内の順天堂産婦人科OBも集い、思い出話に花を咲かせました。
武内先生、今も先生が育て、影響を与えた医師達が、先生の遺志を受け継ぎ患者さんのため頑張っています。
どうか、天国から優しくお見守り下さい。
(私の夢の中で叱らないで下さい(笑)。)
こちらのサイトにたどりつきました。
すると、みなさん一応にあんな優しい先生はいらっしゃらないとコメントをよせられています。
私も全くその通りの思いで、術後の定期健診で急に北出先生に診察が変わってから、2回目の診察の後、帰りにこの手紙をよんでくださいと言われ、開くと突然の訃報にどれほどショックだったことか!
武内先生は、初めての手術&入院で動揺する私に「大丈夫大丈夫、他にもっと大変な人沢山いるのだから、心配しないの」と勇気づけてくれ、どれほど楽になったことかしれません。
医師とは、本来患者の病気の治療のみを目的とするものかもしれません。ですが、私は違うと思います。病は気からとはよく言うもので、患者の心に寄り添える治療こそ本来の治療なのだと思います。
先生は、最初診察時も丁寧に挨拶をしていただき、婦人科の病気のことなど、全くわからない私に子宮や卵巣のイラストの図解をだし、丁寧に説明していただきまさした。
順天堂の婦人科・産婦人科で、このように丁寧な診察をしていただいた先生に、残念ですが、後にも先にも出会ったことが、ほとんどありません。
患者であった方からもこれだけ沢山の武内先生を絶賛する声がよれられ、また先生方も恩師と慕われておられるのであれば、ぜひ、術のスキルだけではなく、この心に寄り添った丁寧な治療を学ばれてほしいものです。
最後に、私ごとですが、昨年、順天堂で長女を出産しました。
36歳で初産だったせいか、丸一日分娩台の上で苦しみ、結局、回旋異常ということで、緊急帝王切開となりました。
執刀医は北出先生で、ほっとしたのと同時に北出先生が、なぜか武内先生にみえたのです。
無事、出産を終えた瞬間、「武内先生の時は、全身麻酔だった為お礼を最後に言えなかったので、みなさん本当にありがとうございました。みなさんのおかげで、無事出産できました。」と言えることができ、クールな北出先生が、よい方ね。一言だけおっしゃって、手術室を後にされました。
その娘も1歳になり、毎日元気いっぱいです。また、私は今度、反対側に卵巣に腫瘍ができてしまい。引き続き北出先生に診ていただいています。
先に、心に寄り添えと偉そうな事を言いましたが、北出先生が診察のたび、お疲れのようにみえるので、心配しております。順天堂は行く度に大混雑でそのような余裕が、患者にも医師にも持つのが厳しいかもしれません。ですが、武内先生のような方がいらっしゃったということを忘れず生きたいと思います。
混みあった外来では、一人ひとりの患者さんに向き合える時間が限られてしまいます。
しかし、その中でも少しでも共感を抱けるよう、工夫し、努力をしていきたいと思います。
きっと北出先生も喜ぶのではないかと思い、頂いたコメントを紹介させて頂きました。
8年ほど前に卵巣のう腫で腹腔鏡にてオペをして頂きました。私は過去に他の病院で2回手術をしており、3回目のオペでした。オペが終わったあと、「(卵巣を)元に戻しておいたからね〜。」と笑っておられたのが印象に残っています。
いつも優しく朗らかな先生でしたが、その後の外来時に字を書く手が震えていたのを今でも覚えております。それからしばらくして先生の外来がお休みになり、竹内先生にお会いできなくなったこともあり私は転院してしまいました。
竹内先生は本当に良いお医者様でした。亡くなったことを知り、今でも悲しむ患者がいることをお伝えしたくメールを差し上げた次第です。心よりご冥福をお祈り申し上げます。